日記(ブログ風)  その2
  2006年2月4日~2006年3月5日

その3 目次

030 2006年 3月 5日 氷壁
 先ごろまでNHKで、井上靖原作のドラマをやっていたのは知っていた。舞台がK2(カラコルム)ということもあり、私の持っている原作のイメージが壊れるし、ちょうど冬季オリンピックをやっていたので見ていない。四谷しらと眼科で予約システムをセットアップしているとき、事務の女性達と「氷壁」の話になった。原作を読んでみたいが、文庫本でも厚くて高いという。『家にあるので貸してあげよう』となった。
 叔父に学生のときもらったもので、この氷壁を読み終えたと同時に穂高に向かっていた。原作の出だしは松本から新宿到着の場面であるが、その逆で、新宿発の夜行急行アルプスに乗っていた。以来、視力が落ちるまでの20年近く穂高に通うことになった。私にとって氷壁と穂高は特別であるため余計な雑音は排除したいこともあり、NHKの土曜ドラマは見なかった。
 叔父からもらった「氷壁」は初版本(四刷)だった。昭和32年11月15日発行(初版は同10月30日、わずか15日で4刷もされている)値段は310円。びっくりしたのは右の写真の通り、扉・表紙が棟方志功作だったこと。
 四谷しらと眼科の女性からそんな貴重な本は借りられない。yahooオークションで売ったら結構な値段になるかもね。私と話した後、文庫本を買っていた(821円)。

029 2006年 3月 4日 由布岳(1584m)
 NHKの朝ドラで毎日、由布岳が見られ気持ちがよいし、ドラマも最近になく面白い。私が最後に由布岳に登ったのは丁度37年前(時期も同じ1969年)になる。それも2,3日おいて登山している。最初に一人で登り、2回目は山岳部のお別れハイキングだった。私は送られ側だったが、登ったばかりであり、朝早く浮羽(うきは)を立つので断った。部員から「まっちょくぞ」と言われてはいた。当日、気を取り直して特急バスで湯布院へ向かう。登り出したのは午後、写真の↓の部分の合野越(ごうやごえ)に来た時、頂上方面から大騒ぎで駈け下りてくる一団が見えた。先頭は男達で、すぐ我が山岳部員と分かった。向こうも私とわかったが、勢いが付いて止まれないため、飯盛ヶ城(3のピーク)に登りながら停止。「来るとが遅か」。まもなく女達も下って来て「男子とはつきあわれん」(男子と一緒には行動できない)と笑っていたが、十分同様の登山をしていた。西峰(1)と東峰(2)のコルからここまで5分で下って来たという。アイゼンを付けていたら1分で下れたと豪語していた。さらに西峰から東峰を全員競争で5分で走破したと言う。『バカが』、「なんちゃ、お前からいわれとなか。ここで中休止するけん、山頂まで往復してこんや」。普通なら90分はかかるところを30で往復せよと言う。そんなバカなことはしたくないと断り、一緒に下るというと、「根性なしが」と非難された。うどんを賭けて飯盛ヶ城まで競争しようと誘われ応じた。(方言では「登りぐっちょ」と言う)
 結果は私が30秒弱で駈け登り1番だったが、由布岳に登ってないのでああだこうだと言われ、湯布院でうどんをおごってもらったかは記憶が定かではない。ただアホなことをしたことだけは良く覚えている。

028 2006年 3月 3日 雛人形
 家内が何を思ったか、雛人形を久しぶり飾った。TVの「徹子の部屋」で、箱に入れっぱなしでは可愛そうと言っていたとか、黒柳徹子は大人になっても飾っていたそうで、だから嫁に行けなくなった…。
 この人形は家内の手作りである。上の娘が生まれたとき、私の母が、豪華な七壇飾りを買ってやると言ってくれたが、団地住まいにそんな雛壇を飾ったら寝るところがなくなってしまう。金だけくれと言うと当然ダメと言われた。「なんか飾るのか」、『折り紙で豪華な雛人形を折る』と応えた。いまでこそ、折り紙はしなくなったが、私の腕前は相当なものだった。学生の時は、折り紙倶楽部をつくろうしたこともある。しかし家内ともどもそれはあんまりだと責められた。横浜高島屋でキットが売っていたのを記憶していたので、場所も取らないし、値段もそこそこ、親の手作りであるため、既製品とは心のこもり方が違う。
 相変わらず飾るところなないため、写真のようにHDDレコーダーの上と、現代的な飾り方になっている。雛あられがあったはずだが、家内とワンコで平らげたそうで、下の娘が帰宅して責めていた。

027 2006年 3月 2日 湘南新宿ラインのグリーン車
 E231系のグリーン車に初めて乗った。まだ新しいので横須賀線(E217系)より気持ちがよく、シートピッチ(座席の間隔)も少しあるのかと感じた。写真のようにスイカのリーダーがあり、当てると検札が来ないが乗る前に手続きが必要。見ているとスイカをかざすとライトが赤から緑に代わり、当人が目的駅で降りると赤になることがわかった。実際は列車が停車すると変わる。結構優れものである。というのは保土ヶ谷から市川までのグリーン券は750円、次の駅の船橋は950円(成田も950円)なのだ。習志野に行くときはよくグリーン車を利用して市川までしか買わないで、せこく船橋まで乗っている。これが出来なくなるじゃん。
 ちょっとした(気配りと言えるが)改良点は赤枠のように飛び出し式のフックがあり、コート程度は引っ掛けられそう。最初は傘たてと思ったが白枠の部分で、500ccのペットボトル入れがある。あと、おやっと思ったのが車掌が女性で、ミネラルウォーターやジュースを売っていること。暖かいコーヒーを売っていたら買ったのだが。

026 2006年 3月 1日 ヒトラー
 アスタウンディングの田苗氏から、まだ封を切っていない「ヒトラー ~最後の12日間~」を(DVD)借りていたので本日、見た。朝から非常に暗い気分になってしまった。夜見るべきで、どうもこれから仕事をする気になれない。
 権力者の最後は皆ああなるのだろうと思ってしまったが、周りの人間はたまらない。自己の終わりは、すべての終わりであり、道連れにしたがるのだろう。特にマダム・ゲッペルスが自分のこども達を毒殺するシーンはもういいよと目をそむけたくなる。2人くらいまでにするべきと思ったが、6人全員を毒殺するまでシーンが続いた(第一よく6人も生んだものだが)。東京が市街戦になっていたらもっと、悲惨になったことだろう。びっくりしたのはヒトラーの取り巻き連中が結構長生きだったこと。口直しというか観直しというか明るい映画をみないと…

025 2006年 2月26日 蒲鉾ハウス
 JR保土ヶ谷駅の東口に間口にして1間(1.8m)もない家(店? 間口は1.3m程度)がある。立ち幅跳びでも余裕で飛び越せる。奥行きは普通、傘などを売っているようだが何屋かよくわからないし、2階が生活空間と思われる。先日、隣の寿司屋で食事した時、2003年11月に撮影していたことを思い出したしだい。現在は左手(写真の工事の衝立部分)に店舗ビルが出来ているためちょと見では気が付かないが、蒲鉾ハウスは健在である。
 さらに横浜寄りに25m行ったところに、この家より少し間口が広い蒲鉾ハウスがある。
 インターネットの世界では、このような建物を探してはコレクションして紹介しているうすーい建物サイトがある。

024 2006年 2月24日 桃太郎
 JR貨物の電気機関車の愛称である。横須賀線で新川崎を通過するとだいたい新鶴見機関区に停車している「桃太郎」と書かれたEF210系の電気機関車を見ることができる。
 目立たないが、貨物列車の世界もハイテク化していて、この機関車はVVVFインバータ制御を初めて採用したこともあるだろうか、JRの機関車で初めて愛称が付けられた。岡山機関区に所属したこともあり「ECO-POWER 桃太郎」と命名されたという。
 その他、以下のような愛称がある。
EF210形ECO-POWER 桃太郎
EF510形ECO-POWER レッドサンダー
EH200形ECO POWER ブルーサンダー
EH500形ECO POWER 金太郎
VVVF(Variable Voltage Variable Frequency)インバータ制御とは(詳細)
 電車、電気機関車のモータを動かす電力を制御する装置の一種で、周波数・電圧を可変可能な交流電力への変換装置である。

023 2006年 2月20日 交番のお巡りさんが挨拶
 20日は大雨で、交番(←部分)の前に立っていたお巡りさんから「お疲れさま」と言われビックリし『ご苦労様』と返せなかった。悪名高きというか不祥事の代名詞というべき、あの神奈川県警からである。だいいち保土ヶ谷橋交差点の交番にお巡りが居るのもまれだった。
 不祥事続きの数年前、右の地図の緑の部分(旧東海道)の交差点はほとんどの人が信号無視して渡る(R1は横切れない)のである。それは旧東海道を江戸方面からは車両が来ないことにもよる(赤の矢印のように一方通行であるからまずこない)。したがってちゃんと信号を守るのは真面目(先頭にバカが付く)人間だけである。私の歩く速度だとこの信号で100mは差がつく。その日も当然、全員信号無視して横切ろうとした(それも青の点滅時)ところお巡りが居いて「赤信号になるので危険だから止まってください」と言った。私の少し前にいた酔っ払いが「なに言ってるんだ、車が来ない信号を渡ったくらいで、神奈川県警のやってることに比べたら誰にも迷掛けてない」と責めた。結局私も含め数人が「そうだ。神奈川県警は反省してないじゃないか」と言ったものだから、お巡りは何も言えなくなった。そんな土地柄なので挨拶に応える声もでなかった。神奈川県警もイメージチェンジを計っているのだろう。こんど挨拶されたらちゃんと応えなければ。

022 2006年 2月19日 脱水症状
 18日の12時頃から下腹が、耐えられないほどに痛くなり、またノロウイルスに感染したかと思われた。1年ちょい前に家族全員つぎつぎに罹り、私も七転八倒した記憶は忘れられない。またあの苦しみをあじわうのかと思うと、筆舌につくしがたい。昔からお釈迦様同様、腸が弱くすぐ下痢する体質であり、少々の下痢では普通に生活できるのだが、昨日は辛かった。
 冬季オリンピックを見ていたが、座っているのも辛くなり床に入った。夜までトイレの往復10回程度だったか、ただ吐き気はないのでノロウイルスではないようだ。昨年より苦しくないのが救いであったが肛門が痛い。
 私が寝込んで、ももこ(犬)が一緒に布団にもぐりこんでいた。20時頃、少しは楽になったので、お粥を食べ布団にもぐりこむ。19日は寝すぎで腰が痛くなり起きた。なんとか回復したが、かれこれ20時間程度寝ていたようだ。ももこはまだ寝ている。

021 2006年 2月13日 椎間板ヘルニア
 私がなったのではなく、ワンコが「椎間板ヘルニア」と診断されたもの。歩き方がおかしいので、それも0時頃(ちょうどスピードスケート男子500mの中継開始された頃)、娘の運転でペット病院へ出かけた。太り過ぎのため6.2Kgまで減量するようにとのこと。これは非常に厳しい数値だ。現在7.8Kgで成犬になって6.2Kgになったことはない。昨年絶食して6.8Kgになったことはあったが、私は不可能な数値と思われる。娘達は「お母さんが、甘やかさなければ出来る」と言っているが、毅然とした食生活を貫けるか…。怪しいものだ。
 医療費が17,000円強かかったとのこと、痛い!

020 2006年 2月11日 経理作業
 会計ソフトとして、現在世間を騒がしているライブドアの「弥生会計V6 スタンダード」を導入した。経理用語になじみがないし、作業の経験もないので苦戦中。最低限やればよい作業がイマイチわからない。ウイザードに従って、環境設定および初期設定を行ったが、本当に設定できたか不明。とりあえず昨年9月からの領収書を金銭出納帳に入力。領収書はスクラップブックに貼り、税理士の指導を受ける準備ができた(と思っているのだが…)。

019 2006年 2月10日 超運動不足
 富士通SSLの仕事が一段落して、本店(自宅の自分の部屋)で仕事をしています。ほとんど動いていないことに気が付き、これはヤバい。多分一日で、200歩も歩いていないと思われる。トイレ、お茶、食事で動く程度で、入院している時より動いていない。頭は使っているのでボケはないだろうが、体が動かなくなるだろう。
 はやいとこ事務所を構えなければ、万歩計も買っておくかと思っている。

018 2006年 2月 6日 空弁
 このどデカイ看板がJR横浜駅にある。一瞬『なんだ、カラベンって』と思った。『おっと、今人気の「ソラベン」か』。しかし漢字で表記するものではないな。以前『美人局アナ・・・・』の中吊り広告を見た時と同様の思いを持った。美人局アナとはなんだ。美人局(つつもたせ)をアナウンサーがやって話題になっているのかと思ったが、「美人、局アナウンサー」のことであった。日頃TVを見ていない頃だったのでまったく訳が分からなかった。最近は、朝10時からの「なるトモ」なる五月蝿い番組を見ているので以前より芸能関係の話題も目耳に入るようになったが…。
 空弁は言うだけにとどめるべきだろうが、カラ弁は死語だなぁ。

017 2006年 2月 5日 靴下
 人間用ではなく、写真のように我家のお犬様用のものである。このところ寒くて、寒さにも弱い我家のワンコは散歩をしたがらず、さらに歳もとって足腰がめっきり弱くなった。フローリングで滑ってよく歩けない。寒さ防止と、滑り防止の解決策(?)として、下の娘が買ってきた。値段は人用とたいして変わらないらしい。人間の赤ん坊のより小さい(布の面積は狭い)。人間用に換算すると超高級品と言ったところか。
 履かせたところ、フローリングでの滑りは軽減されたが、嫌がってすぐ脱いでしまう。

016 2006年 2月 4日 共通語の不便さ
 今日は、VBのプログラミングに集中していて、一歩も外出せず。下の娘が帰宅して「また雪ふってるよ」という。『今も降ってるの』「もうやんでるけど、ちょっと積もっている」。どこが不便かというと、私の田舎の西九州地方の言葉だともっとスマートである。
 すなわち『雪がふっちょる』(過去完了形)の一言で済むのである。現在進行形は『雪がふりよる』と圧倒的に表現力が勝っているのだ。
 よく九州弁と一くくりで言われることがあるが、これは無理がある。大雑把に分けても3つ、それは東京方言で言うところの「だけどサァ」の言い分けで分類するのが適切だろう。
 即ち『ばってん』、『じゃっどん』、『そいけんど』の言語および文化圏である。
『ばってん』は筑前、筑後(私の故郷)、肥前、肥後(福岡県の一部、佐賀県、長崎県、熊本)。
『じゃっどん』薩摩、大隈、日向(鹿児島県、宮崎県)。
『そいけんど』豊前、豊後(福岡県の一部、大分県)となる。
 九州弁とか九州出身ですと言う人間は鹿児島出身者が多いように感じる。

目次  最新   10  9  8  7  6  5  4  3  2   1 
Copyright 2006 - 2024 uSolutions