日記(ブログ風)  その4
  2006年4月2日~2006年5月16日

その5 目次

060 2006年 5月16日 アオサギ(実はコサギ)
 今井川(#055)付近で、多分アオサギ(もしかしたらダイサギかも)をカメラで捉えた、シャッタを切ってすぐ飛び立ったが望遠にしていたため、あと野鳥撮影に慣れていないため捉えることができなかった。
 GWから保土ヶ谷宿を題材にデモ用(Google Maps APIを駆使した)webサイトを制作するため、取材を行っていたが15日も保土ヶ谷周辺を歩きまわった。正確には登り降りを行った。万歩計を見ると2万歩を超えていたので13kmは歩いている。それも標高差100m程度は2回登り降りした。綺麗な苔がある坂も見つけた。
 アオサギはさほど珍しい野鳥ではないが、保土ヶ谷では珍しい。私自身1ヶ月狙っていた。この今井川ではセキレイも見られるので、いずれ紹介したい。谷津干潟へ行けば多分毎日見ることができる。

059 2006年 5月14日 コーヒーが1,200円
 携帯電話で撮影したのでよく分からないが、都内の某ホテルの喫茶に入ったところコーヒーが1,200円とメニューにありビックリしてしまった。一番安いトマトジュースでも900円。1月に枇杷倶楽部のいちごパフェが780円でビックリしていたが、いちごパフェの方が質量とも断然安い!
 まぁ、昼食は顧客にご馳走になり、手違いでこのコーヒーも顧客にご馳走になってしまい、味が分からなくなってしまった。
 ただ居心地がよかったので2時間程、打合せをしていたがその間、都合3杯お代わりしたので1杯当り400円とショバ代を考えると元を取った感じがしないでもない。
 コーヒー(スペシャルブレンドとあったが)もアメリカンコーヒーも同じ1,200円。アメリカンってもしかしたら、お湯で薄めた奴。貧乏人根性まるだしで、同じ値段ならストレートだろうと、スペシャルブレンドにしたのだった。

058 2006年 5月10日 自動車税なんと84,000円
 振込み用紙をみてビックリした。我家の車は4.2LのディーゼルエンジンであるためNOx規正で規正地域では乗れなくなる車であった。その対策として、まだ問題なく乗れる車であったので、悪く言えば法の網の目をくぐって本当は車を大事に使用しているのだが(車を大事にするというこは決して、洗車したり見た目に綺麗にすることではない)貨物車から乗用車にしかからに他ならない。
 貨物車(税金16,000円)のままだと横浜だと乗れなかった。車庫飛ばしも考えた。同車(定義がよくわからない)に乗用車があればOKという曖昧な法律で我家の車は救われたが、税金が4.75倍になった。で今年さらに上がった。同じ車に10年以上乗るこは悪いことらしい。絶対おかしい。我家の車を廃車にしたらどうなるか!頑丈な車だらか中東あたりに行ってアルカイーダが乗り回す可能性が高い。だから手放すわけには行かないのだ。

057 2006年 4月30日 冨嶽三十六景(東海道程土ヶ谷)の大間違い
 右の切手は葛飾北斎作、冨嶽三十六景東海道程土ヶ谷がもとになっている。昨年末、国立博物館で「北斎展」があり購入した冊子(A4のプリント用紙250枚よりでかい)に「この場所が保土ヶ谷のどの位置になるのかは、最近まであまり言及されることはなかった。だが近年、品野坂であるという見解が有力視されるに・・・」とあった。品野坂とは品濃坂の誤植で、さらに品濃坂は戸塚宿であり、宿場の管轄が厳格だった江戸時代に戸塚宿(相模国)を保土ヶ谷宿(武蔵国)とするのはあり得ず品濃坂説は間違っている。版画の右の峠が境木としているためであり、普通に見れば品濃坂とするのは自然である。しかし朝な夕なに富士山を保土ヶ谷から見ていない専門家(?)の言にほかならない。
 この版画は彫師が表裏逆に彫り、摺師が仕上たもので、現在の光陵高校付近から画かれた風景であろう。北斎の版画が表裏逆なんて誰も信じてくれないかもしれないが、その必然性を科学的根拠に基いて述べる。詳細記述

056 2006年 4月25日 マンションに自動販売機
 自宅での仕事が多くなり、ご近所様の様子が気になるというか目に付くようになった。ラーメン屋にしても今井川風景にしても同様である。これも同じで、どうでもよいこであるが、やはり気になる。
 私の部屋からの風景である。目が悪いので今までまったく気が付かなかったが、向かいのマンションに自販機が設置されているのが分かった(←部分)。光線の関係で反射したので分かったしだい。ウィークリーマンションではなく我家と同様の住まいである。珍しいと思うが果たして何が売っているのか気になるところ。確かめに行くほど暇人ではないのだが・・・
 と言いながら、3倍のTele Converter をカメラに取り付けて写した。写真をクリックするとだいたいなにが売っているか確認できるが、酒類は売ってないようだ。値段はどうなんだろう?

055 2006年 4月22日
 先週の大雨による増水で、鯉が上って来ている。#053の下流に20匹程度が泳いでいるが、水が引いて行き場がなくなり現在50m程度の範囲で行き来している。これ以上天気が続くとカラスやネコの餌になりかねない。
 このように、工事がないと今井川は澄んでいて最近はさらに綺麗になった。ただ護岸工事がされて魚の住処が無くなってしましった。#053の橋の先は湾曲していて淵になっていたが河川整備で埋められ、流れが直線になり風景も醜悪になった。渇水期もこの淵だけは干上がらず数10匹程度の鯉なら十分生き延びることができたのだが。

054 2006年 4月17日 右口腔底ガマ腫摘出手術
 自分で写真を写せないので写真なし。舌の下側の付け根の右側が腫れて、元住吉の関東労災病院の口腔外科を紹介され診察したのが3月24日。このころが最高に腫れていた。最初はとりあえずかかりつけの歯医者に行ったのだが、耳鼻咽喉科なのか口腔外科なのか分からなかった。
 その場で、バッサり切られると思っていたが、ちゃんとした検査などを受けなければならず、また主治医の学会などで手術日が今日になった。ところが10日前に自然治癒したのである。腫れたり治まったすると言われていたが治ったきり。14:00の予約だったが2時間待たされ、「さて始めましょうか。あら、これじゃ手術できませんね」という具合で、手術は中止。「珍しいこともあるものだ、また腫れるかも知れませんが様子を見ましょう」ということで虚しくではないが、まずは良かったと富士通SSLまで歩いた。このところ忙しくて病院に行く余裕などなかったが、インターネットTV電話で対応できればと思った。写真では分からないかも知れないが時間の無駄(半日つぶれた)、もちろん診察費はおしまない。

053 2006年 4月15日 屋根より低い鯉のぼり
 鯉の川渡しとか張りと言うのかも知れない。この付近でも幟では目立たないので良い張り方と思う。桜が散りもう五月と季節感が溢れる。先週、多分町内会で張ったと思われるが結構面倒な作業だろう。写真を写したときは気が付かなかったが、下の方にカルガモ(多分つがい)がいる。この流域では十数羽確認でき、たまにセキレイやアオサギも見かけられる。
 野鳥の名前は、習志野市の仕事で谷津干潟のサイトや現在閉鎖されているが「野鳥神経衰弱(web版)」、「野鳥クイズ」を作成したりしたためわりと詳しくなった。両アトラクションは習志野市に働きかけ再開することになったが、私がやらなければならない。

052 2006年 4月11日 初枇杷
 久々南房総(市になって初めて)へ行った。本日の東京湾は非常に静かでプールの中のようだった。今まで東京湾フェリーの回数券を5回(11枚綴り)買っており、70回程度は乗っているがこんなに揺れなかったのは初めて。少々ガスっていたのでフェリーのスピードも遅かったこともある。4月になったので平日とはいえ写真のように車は6台とマイクロバスだけ。
 枇杷倶楽部に着いて見回ると、もう枇杷を売っていた。聞くと今日から発売ということで、いい値段である。打ち合わせが長引き、千円の枇杷を買おうとしたら売り切れていた。この時期だとハウス枇杷だし5千円はねぇ、高いよなぁ。

051 2006年 4月 7日 桜の流れ(保土ヶ谷宿)
 保土ヶ谷宿を流れる今井川を埋める桜の花びら。このあたり滑(なめ)になっており、日本橋から34Kmしかない現代の保土ヶ谷宿とは思えない渓流がある。ここはトレーニングコースの中であるが、つい最近までこのような風景があったとは知らなかった。
 本日「街道てくてく旅」は保土ヶ谷であった。広重の「保土ヶ谷・新町橋」と現在の写真が紹介されたが実は現在の帷子川は人口的に流れを変えたためTVで紹介され位置ではない。ここの少し手前に江戸方見附跡があり、我家から国道1号に出たところが上方見附跡で、2つの見附の間が宿内と呼ばれていた。両見附間の距離は約2Kmある。
 インターネットで保土ヶ谷宿を調べるとどこも保土ヶ谷区役所の受売りで面白くない。保土ヶ谷区のページで宿場成立(1601年)とその後1648(慶安元)年に東海道のルートが変更されたことが分かるが、「なぜルートが変わったのか、変更前のルートがどこを通っていたのかは正確には分かっていません」とあり、この謎を解き明かしたい。旧旧ルートは右の写真の付近を通っていたと、明治15年測量の地形図を参考にしながら述べたいと思う。かように私なりの保土ヶ谷宿の紹介をするので乞う期待!

050 2006年 4月 6日 Linux DBサーバ
 勉強用に写真のPCを購入し、RedHat9(訳ありで古いLinuxにした)とOracle10g(R1)をようやくインストールできた。ここまで4日もかかってしました。しかしまだOracle環境が完全ではない。この他、業務で写真のおもちゃのようなサーバではなくFujitsu製にCentOS、DELL製(LedHat Enterprise Linux(R) ES v.4 付)にもoracleを設定している。
 おもちゃと言ってもスペックは問題ない。CPU:celeron D 330(2.66GHz FSB:533MHz), MEM:1GB, HDD:160GB、DVD-RW付。LINUXにするからDVDはと思っていたが、oracleがDVDであったため非常に役にたった。6万円強で秋葉で買ったものだがこれで、OracleDB Serverになるのだから安くなったものである。

049 2006年 4月 5日 三軒ラーメン屋 その4(結局)
 3月30日に復活を報告したばかりであったが、結局3月末で「閉店」となった。4日横を通ったとき店の中をかたづけているようだったので、もしやと思ったが、やはりだった。張り紙では「今月を一杯」とあるが、今月っていつなのと曖昧な文章である。多分今月とは3月のことで、5月になってもこの張り紙であればよく考えたものである。私の性格では正確に3月31日を持ちましてとするのだが、落書きしてやろうかと思った。客の入りははやり#014のA店が多い。次は新しく開店した店か。

048 2006年 4月 4日 飛鳥Ⅱか
 4日、16時出航ということで、気が付いたときは左写真の時刻だった。「南房総いいとこどり」にアクセスして富浦小学校に設置されているwebカメラを操作して「飛鳥Ⅱ」だとうろと推測した。時間通り出航していれば横浜大桟橋から約50Km強の富浦沖通過は上記写真となる。東京湾「浦賀水道航路」や「中ノ瀬航路」の制限速度は12ノット(約22km/h)以下ということなので、大体一致する。
 18時頃に気が付いていたらもっと至近距離で捕らえたのではと残念でならない。しかし、やはり暇人か・・・

047 2006年 4月 3日 富士山の雪
 この時期、このような富士山の姿はちょっと珍しい。多分、2日下界は冷たい雨だったが雪線のように雪だったようだ。また、今の時期は春霞でこのようにはっきり富士山も見えない。桜も散るというのに真冬のようである。
 NHKで「街道てくてく旅」東海道完全走破を3日から1宿場/日で放送している。保土ヶ谷へやって来たら一言述べたい。
 保土ヶ谷宿で紹介されている「江戸時代の旅籠跡」は我家の近所の金子家(このあたり金子や軽部という姓が多い)。この本金子屋跡は明治2年建築と伝えられる。保土ヶ谷宿で昔の面影を残しているのは金子家と本陣跡の門だけ。

046 2006年 4月 2日 ニワトリ
 野生化した鶏である。↓は国道1号(2m先)の権田坂上、日本有数の幹線道路のすぐ脇にうろついている。すぐ上の児童公園に誰か放してそれが野生化したものと思える。凄いのは私が見たところ3~4m程度は飛び上がる。どのくらい飛ぶかは分からないがたくましく生きているのは確か。3羽は見たことがあるが何羽居るのか不明。というのは児童公園の隣が英国連邦墓地で日本人は入れないためそこへ行けば人間に悪さはされない。今の日本人で鶏を取って食う者はいないが。
 ただし敵は多い。猫と狸(タヌキ、車に轢かれているのを見たことがある)が天敵と思われる。猫が鳩を襲ったところは目撃したことがある。鳩より鶏の方がドンクサいように思われるがここの鶏はすばしっこい。
 横浜市保土ヶ谷って本当は田舎なのかも。しかし、ここから日本橋までは34Kmしかない。

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