東海道分間絵図の一里塚更新 2014.7.14
東海道分間絵図と表記していますが本来は「東海道分間繪圖」です。本ページでは常用漢字で「絵図」といたします。 東海道分間延絵図(文化3年(1806)刊)と混同されることもありますが別物です。東海道分間絵図は東海道に関する分間絵図の版本として最初に刊行されたものです。 本ページでは元禄3年(1690)に刊行された、初版本(底本、国会図書館蔵)の復刻版を調査したものです。 |
||||||||||||||||||||||
東海道分間絵図 | ||||||||||||||||||||||
東海道分間絵図は手書きの「東海道絵図」(天和元年2月~同2年 1681~1682刊行)と原本は同じで、残念ながら原本は失われたと言われています。東海道絵図が総長138.99m(約1/3,250)に対して東海道分間絵図は総長35.97m(1/12,000)と解説に記載されています。したがって東海道分間絵図の復刻本から一里塚の正確な位置を決定することはできません。 原本が同じと言う説は解説に述べられている専門家に任せますが、両書とも六郷橋が画がかれいます。この橋は元禄元年(1688)に流失し、明治になるまで架けられなかったため、測量は刊行時期より以前になることが分かります。 東海道分間絵図は東海道絵図に比べ小縮尺ですが、一里塚に関しては植えられている木の種類と本数まで記載されています。 作者は遠近道印(おちこちどういん)、実名を藤井半知(ふじい??)といい越中富山藩の家臣で、延宝年間(1670年代)には「図翁」とよばれるほどの地図製作者と言われています。 絵師は菱川吉兵衛、画名を師宣(もろのぶ)といい浮世絵の祖として知られています。 |
||||||||||||||||||||||
東海道分間絵図に記載された一里塚(概要)
|
||||||||||||||||||||||
分間絵図とは | ||||||||||||||||||||||
分間の現代の概念は縮尺にあたります。ただし平面です。現代の地図も平面ですが、等高線を入れるなどの工夫がしてあり、Google Earthに代表される電子地図は高さ情報も持っており、本来の地形を縮小したものとなっています。 分間絵図とは実際の1間を曲尺の1分に縮小して画いた絵図のことです。縮尺は1/600というかなり大縮尺となります。 1尺 = 10寸、 1寸 = 10分、 1間 = 6尺(1.818m) 定説では1間=6尺であるが、江戸時代初期は1間=6尺5寸(1.9696m) という説が2004年に発表され、この説の方が実際の塚間の距離に近い。 測量は道線法によっており、江戸時代の初期でもかなりな精度を持っていたと考えよいと私は思っています。 道線法は道路の走行方向を磁針で測定しながら、道路に沿って測って行く方法です。計測は歩幅と歩数で行ったと推測しています。私もこの方法で行っていますが問題ないと思っています。すなわち地図とハンディGPSで比較しても1里で50m以内の誤差に納められ、もっと正確に計測することも可能です。 東海道分間絵図は三分一町(表題に明記されている 1/12,000)で画かれいて、道の幅は誇張してあるが、距離に関しては正確に画かれています。 |
||||||||||||||||||||||
書誌概要 | ||||||||||||||||||||||
元禄三年初版本(底本、国会図書館蔵) 他、数箇所に蔵されている。 元禄三年改修本(伝本多し) 元禄十六年求板本(1703)(慶応大など3箇所に蔵) 正徳元年改修本(1711) (公文書館と東大に蔵) その他 宝暦二年刊(1752) 同書名であるが別作品。 東北大学附属図書館 狩野文庫画像データベースで閲覧できます。 |