間違い その3
原画が正しいとすれば、権太坂では右手にピークはなく、戸塚宿の品濃坂付近とするのが理に適う。このピークは下の古地図△(品濃一里塚)となるだろう。 今まで述べた通り、富士山の雪線や丹沢が逆であり、横溝説を採ると権太坂(40m)から描かれたもので下の古地図△となる。 以下にそれぞれ現在の権太坂と品濃坂付近を示す。赤線は旧東海道であるが、品濃坂付近は現在宅地開発が進み分り辛くなっている。 区役所が示した描かれた地点と思っていたが、さらに調査して、この地点からだと、境木方面の尾根のため、弘法山などの、下の方が見渡せない。品濃一里塚から品濃坂間で描かれたとしている。ただし北斎は鳥のような自由さを持っているので、権太坂説も捨てられない。 |
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権太坂と品濃坂 境木からすぐの焼餅坂は分かるがその先(上方方面)は分かり辛い。現在は住宅や高層マンションができ、版画のような風景を見ることはできなくなっている。品濃一里塚は残っているが、保土ヶ谷の一里塚跡からの距離が異常に短い(3.1km)が、神奈川~保土ヶ谷間が長く(4.8Km)とつじつまはあっている。 |
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権太坂(一番坂上)で描かれた? | ||||||
延々と述べてきたとおり、左のように表裏逆であることがお分かりいただけたと思う。 では、この絵が描かれたのは何処だろうか? 一般的には二番坂上あたりからと云われている。現在は右手下に光陵高校があり、左手に権太坂小学校がある。富士山方向の街道沿いは住宅で、切れ間の駐車場から富士山を見ることができる。冬の天気の良い日に光陵高校の屋上からも富士山が良く見えると思われます。正面の尾根は現在、環状2号になっており、右の先は新横浜、左端は境木でその真下は東海道線のトンネルとなっている。 写真1、2を参照、なお権太坂付近の地図中のカメラのアイコンの番号と対応する。 |
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北斎の程土ヶ谷を想像する | ||||||
光陵高校の校庭に松の木が植えてあるが、当時のものではなく新しい。残念ながらこの松並木も2009年にマツクイムシにやられてしまい現在は数本を残すだけとなった。 このページに掲載した写真はすべて、私の住んでいるマンションから撮影したものである。版画が描かれた地点から富士山の延長線上に800m程度東の地点であるが富士山や丹沢は同じ風景である。 |
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現在の保土ヶ谷からの風景(上方見附跡付近から) 2006.4.3撮影 | ||||||
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