間違い その1
保土ヶ谷から富士を望むと原画のように北に雪線が麓まで裾を引くようにはならない。描かれた時期が何時かを考慮しなくても、四季を通じて原画の富士山を見ることはないのである。富士山の東側に対して、雪線が降りてくるのは良く知られていることで次のように説明できる。 | ||||
富士山の東に雪舌が出来る訳 | ||||
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1994年1月1日 十里木(裾野市)標高約900mの地点で撮影 | ||||
保土ヶ谷から富士山がどのように見えるか | ||||
2006年1月24日撮影(雪舌が横溝説のように下がっているのが分かる) |
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2006年4月3日撮影 |
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2006年5月3日撮影(雪が目立つようにPhotoShopでかなり処理している) |
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この版画の描かれた季節は春(4~5月)と思われるが、原画のように片方の雪線だけ麓まで延びることはなさそうであるが、少なくとも北側の麓まで裾を下ることはない。また大山、丹沢の稜線に遮られて原画のように麓まで見えない。 | ||||
右は同じ富嶽三十六景相州江の島で、時期的に保土ヶ谷と同じ春と思われる。もしかすると保土ヶ谷、江の島の順(あるいは逆)で描かれたのかもしれない。ただ江の島の富士山の雪線は割と正しい。雪舌はもう少し中央に来ると思われる。 北斎が保土ヶ谷を描いた時期は天保2年頃(1831年)と言われており、宝永噴火から130年程度を経ているので、上記に述べた雪線の出来方をあてはめることができる。即ち現在と変わらないと思ってよい。 |
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