横浜港開港の前年、安政5年(1858)米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、横浜村のほぼ中央に設定された運上所の北側海面に東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の突堤が幕府によって建設され、横浜港最初の波止場が完成した。大きい東側の突堤は当初長さ60間(約100m)幅10間(約18m)といわれる。慶応2年(1866年)の大火後、両突堤は湾曲するように延長され、現在の形の原型が出来上がった。東側の突堤はいつの頃からかその形状から「象の鼻」と呼ばれるようになった。それに対して、西側の小さい突堤は「子象」の相性で親しまれていたが、現在は大きく形を変えている。
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