旧東海道に架けられていた帷子(かたびら)橋は、現在の「帷子橋」の位置ではありません。昭和39(1964)年7月に帷子川の河川改修工事で大きく川筋が変えられことにともない帷子橋の位置も変わりました。かつての帷子橋の跡地は、現在の天王町駅前公園の一部になります。詳細は下の地図を参照。有名な安藤広重の「東海道五十三次之内 保土ヶ谷」の風景は現在では想像することもできません。
広重の絵の山は現在、久保町、東久保町になり高いピークは三角点54.3mではないかと思れ、現在富士見学園と推測しています。
明治15年測量の地図では帷子橋と記されていますが、通称は大橋や新町橋などとも呼ばれていました。
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旧帷子橋の現在 |
写真1,2は広重の絵と同じ方向で写したものです。川筋も変わりビルにさえぎられて、山を見ることはできません。写真1は旧帷子橋が架かっていた位置と言われています。下の「帷子橋の昔と今」で確認してください。
写真2はなるべく、広重の絵と同じような景色が想像できないかと撮影ポイントを探しました。しかし現在では無駄でした。写真中央に山(54.3m)が見えなければならないが、旧帷子橋近辺から見ることはできません。
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広重の帷子橋の背後の山 |
写真3,4が広重の帷子橋に画かれた山です。写真3は広重の絵と同様の方向から眺めたもの。写真4は山の際からほぼ東を眺めたものです。たいして高い山ではなく、丘と言ってもよい。
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帷子橋の昔と今 |
川筋が変わり橋が移動したことが分かるように、明治15年測量の地図と現在の地図にそれぞれ目標となる道路や旧街道を画いたものです。
さらに分かりやすくするため帷子橋の移動(Flash Movie)で動的に見られるようにしました。
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