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10 上方見附跡

 現在の位置に見附のモニュメントができたのは2009年3月です。デザインを優先してか L型になっていますが、保土ヶ谷宿の見附は江戸方、上方とも |型でした。
 往時の見附は放送大学附属図書館所蔵の写真を参照してください。説明には見附の記載はありませんが、これは見附です。
 いつごろできたとかいうと、江戸中期、即ち宝永7(1710)年に江戸の入口として高輪に大木戸が建設されて以降ではないかと思われます。元禄3(1690)年頃に編纂されたと言われる「東海道絵図」には見附はどこも画かれていません。
 往時、保土ヶ谷宿の見附はモニュメントの位置ではなくもっと上方寄りの現在「保土ヶ谷二丁目」のバス停付近だったのではと言われています。東海道分間延絵図に画かれた上方見附を参照してください。外川神社は明治2年に勧請されたと言うことで記載されていません。

「もっと知りたい保土ケ谷」(2004年刊)によると見附が建設されたのは享保元年(1716)と記載されています。(出展は明記されていない)

4月10日、落成式
見附の役割
「見附」の本来の意味は「見張り所」「警備所」で、東海道の宿場では形式的な入口だったようです。
 見附は宿境を示し、見附から見附までが正式な宿内であることを示す目印でした。参勤交代の大名が来ると宿役人は見附まで出迎えに行き、「下にぃ、下にぃ」という大名行列は宿内で行われたと言います。
 大名行列は宿場を出ると、結構なスピードで移動したようです。ゆっくり歩いていては国元に帰る着くまでに日数がかかり、その分経費がかかることになるからです。
常夜燈
 一里塚モニュメントから瀬戸ヶ谷橋までの約300mの松並木プロムナードも完成し、横浜市のマイスター関野美三夫(みさお)氏作の常夜燈も完成した。
 宿場時代は設置した者が維持しなければならなっかと言われており、遠くに設置した場合は毎年送金していたということで、ちゃんと管理できていました。2010年5月16日からソーラセルによる発電でLEDのライトが灯った。回り明るすぎて10w程度ではまったく目立たない。
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