有限会社 uソリューションズ
 

東海道一里塚更新 2014.1.31

 旧東海道のルートと一里塚の位置を紹介しています。
 2009.04.27現在、私が実際に歩いた日本橋から、志田一里塚(藤枝市 #48)までの座標(緯度、経度)はほぼ間違いありません。これ以外はHat's Roomの東海道一里塚一覧表を参考にさせて戴きました。ただしHat's Roomは東京測地系であるため国際測地系(WGS84)に変換しています。
 また旧東海道ルートは東海道一里塚ウォーキングガイド(注意1)を参考にしました。東海道の全ルートマップは街道ウォーキングマップを参照してください。
 当サイトでは地図ファイルフォーマットの「KML」がOpen Geospatial Consortiumで標準規格に採用された(2008.4)ことからkmlも公開しています。
 東海道分間絵図に画かれた一里塚についてまとめたページを作成しました。慶長9年(1604)に街道と一里塚の整備がなされて60年以上たっていると思われるので様変わりはしているはずですが参考のため作成しました。
 2018.11.20 GoogleMaps APIの有償化にともない無償のleafletに移行しました。
 本件に関する問合せや要望等はこちらからお願いいたします。

 出展がはっきりしませんが、欠番の概念が導入されています。当初はその概念がなかったようです。「東海道絵図」には江戸~京都は120里となっています。いづれ当サイトで詳しく述べる予定です。
 2013.02 磐田市にお住まいの礒部さんから興味あるご指摘をいただきました。
 それは江戸初期と後期(東海道宿村大概帳が出た頃)では1間の長さが違っていたためで、1間の長さが短くなり辻褄を合わせるため欠番を作ったのではないかと推測するに至りました。当初は120里だったというもの、私もこの説を支持します。
 出展は「近世東海道の道路延長と一里塚の尺度について」(土木史研究 講演集 Vol.24 2004年)
品濃一里塚 左
品濃一里塚(左)

>  右左の表記は、宿村大概帳の記述に従い江戸から上方に向かって(日本橋を背にして)右手を右としました。
  東海道一里塚ウォーキングマップ 地図表示
番号 塚の名称 ルートマップ 備考 標高(m) 塚間の距離(m)
0 日本橋にほんばし 日本橋~金杉橋 道路元標 3.6 8,445
1 金杉橋かなすぎばし 金杉橋~品川 築かれなかったらしい 4.2
2 品川しながわ 品川~大森 現在の北品川(踏切)付近にあったと言われるが、すでに江戸時代に撤去されている。 3.5 5,335
3 大森おおもり 大森~六郷 正確な位置は不明 8.6 3,944
4 六郷ろくごう 六郷~市場 東京都大田区東六郷三丁目(なにもない) 7.1 4,067
5 市場いちば 市場~東子安 案内碑があり塚らしきものがある 3.0 4,255
6 東子安ひがしこやす 東子安~神奈川 ここあたりだろうと推測(遍照院付近) 7.6 3,860
7 神奈川かながわ 神奈川~保土ヶ谷 大綱金刀比羅神社の参道入口にあった 15.4 4,822
8 保土ヶ谷ほどがや 保土ヶ谷~品濃 神奈川~保土ヶ谷間は4.8kmもあり、保土ヶ谷~品濃間はわずか3.2kmしかない 13.0 3,207
9 品濃しなの 品濃~戸塚 道の両側にほぼ当時の形で残っているのは神奈川県内でもここだけ 68.7 4,147
10 戸塚とづか 戸塚~原宿 説明板だけが国道1号下り側の歩道にある 16.3 4,053
11 原宿はらじゅく 原宿~遊行寺坂 説明板だけ国道1号下り側の歩道にある 63.3 4,143
12 遊行寺坂ゆぎょうじざか 遊行寺坂~辻堂 一里塚跡案内が雑草に埋もれて通り過ぎるところだった 41.2 4,181
13 辻堂つじどう 辻堂~茅ヶ崎 国道1号上り歩道にあり、付近は松並木が残る 18.0 4,129
14 茅ヶ崎ちがさき 茅ヶ崎~馬入 四ツ谷~茅ヶ崎間は松並木がかなり続いている 11.6 4,500
15 馬入ばにゅう 馬入~大磯   7.6 4,192
16 大磯おおいそ 大磯~国府本郷 化粧坂(けわいざか) 11.8 4,334
17 国府本郷こくふほんごう 国府本郷~押切坂   16.2 4,007
18 押切坂おしきりざか 押切坂~小八幡   20.9 4,413
19 小八幡こやわた 小八幡~小田原   4.2 3,759
20 小田原おだわら 小田原~風祭   1.7 4,193
21 風祭かざまつり 風祭~湯本茶屋   37.1 3,696
22 湯本茶屋ゆもとちゃや 湯本茶屋~畑宿   171.1 4,392
23 畑宿はたじゅく 畑宿~箱根 左右復元された塚がある 417.0 4,414
24 箱根はこね 箱根~山中新田   736.5 4,299
25 山中新田やまなかしんでん 山中新田~笹原   755.9 4,173
26 笹原ささはら 笹原~錦田   379.6 4,256
27 錦田にしきだ 錦田~伏見   101.6 4,581
28 伏見ふしみ 伏見~沼津   23.9 3,133
29 沼津ぬまづ 沼津~大諏訪松長   8.4 4,847
30 大諏訪松長おおすわまつなが 大諏訪松長~原   10.9 4,574
31 はら 原~沼田新田   6.0 4,132
32 沼田新田ぬまたしんでん 沼田新田~依田橋   9.1 4,476
33 依田橋よだばし 依田橋~本市場   8.3 5,114
34 本市場もといちば 本市場~岩淵   19.1 4,204
35 岩淵いわぶち 岩淵~蒲原   42.0 3,294
36 蒲原かんばら 蒲原~由比   17.8 3,337
37 由比ゆい 由比~西倉沢   13.6 4,315
38 西倉沢にしくらさわ 西倉沢~興津   28.4 4,182
39 興津おきつ 興津~江尻辻   8.5 5,065
40 江尻辻えじりつじ 江尻辻~草薙   6.1 4,373
41 草薙くさなぎ 草薙~長沼   27.9 5,152
42 長沼ながぬま 長沼~府中   10.8 5,432
43 府中ふちゅう 府中~鞠子   25.5 3,784
44 鞠子まりこ 鞠子~宇津ノ谷   16.8 3,015
45 宇津ノ谷うつのや 宇津ノ谷~岡部   65.8 3,895
46 岡部おかべ 岡部~鬼島   47.2 4,382
47 鬼島おにじま 鬼島~志太   14.7 3,971
48 志太しだ 志太~上青島   29.6 4,073
49 上青島かみあおじま 上青島~島田   34.1 4,062
50 島田しまだ 島田~金谷   57.1 6,274
51 金谷かなや 金谷~小夜中山   92.8 4,352
52 小夜中山さよのなかやま 小夜中山~伊達方   214.0 4,355
53 伊達方だてがた 伊達方~葛川   44.2 4,128
54 葛川くずかわ 葛川~大池   28.6 4,596
55 大池おおいけ 大池~久津部   20.7 4,468
56 久津部くつべ 久津部~木原   14.9 4,427
57 木原きはら 木原~阿多古山   7.4 4,177
58 阿多古山あたごやま 阿多古山~宮之一色   23.5 4,617
59 宮之一色みやのしっしき 宮之一色~安間   9.1 6,888
60 安間あんま 安間~馬込   11.0 4,461
61 馬込まごめ 馬込~若林   10.0 4,617
62 若林わかばやし 若林~篠原   4.0 4,354
63 篠原しのはら 篠原~舞坂   5.4 4,887
64 舞坂まいさか 舞坂~新居   4.0 5,919
65 新居あらい 新居~白須賀元町   5.8 3,972
66 白須賀元町しらすか 白須賀元町~豊橋一里山   6.8 4,244
67 豊橋一里山とよはし 豊橋一里山~二川   61.4 3,942
68 二川ふたがわ 二川~飯村   24.6 5,098
69 飯村いむれ 飯村~下地   10.2 5,547
70 下地しもじ 下地~伊奈   3.6 4,228
71 伊奈いな 伊奈~御油   9.6 4,542
72 御油ごゆ 御油~長沢   22.0 4,463
73 長沢ながさわ 長沢~本宿   61.1 4,236
74 本宿もとじゅく 本宿~藤川   97.3 4,686
75 藤川ふじかわ 藤川~大平   63.3 4,321
76 大平おおひら 大平~矢作   27.5 6,509
77 矢作やはぎ 矢作~尾崎   21.0 4,093
78 尾崎おざき 尾崎~来迎寺   22.7 4,548
79 来迎寺らいこうじ 来迎寺~一ツ木   18.0 4,313
80 一ツ木いちつぎ 一ツ木~阿野   8.3 4,460
81 阿野あの 阿野~有松   11.7 4,319
82 有松ありまつ 有松~笠寺   10.9 4,489
83 笠寺かさでら 笠寺~伝馬町   4.9 4,107
84 伝馬町てんま 伝馬町~七里の渡し   6.5 883
85 七里の渡ししちりのわたし 七里の渡し~桑名   0.0 27,489
91 桑名くわな 桑名~縄生   3.2 5,011
92 縄生なお 縄生~富田   3.8 4,401
93 富田とみだ 富田~三ツ谷   2.4 4,290
94 三ツ谷みつや 三ツ谷~日永   1.1 4,996
95 日永ひなが 日永~采女   2.9 5,015
96 采女うねめ 采女~石薬師   45.0 3,916
97 石薬師いしやくし 石薬師~中冨田   18.2 4,597
98 中冨田なかとみだ 中冨田~和田   22.9 4,748
99 和田わだ 和田~野村   55.2 3,989
100 野村のむら 野村~関   67.8 3,752
101 せき 関~市瀬   79.9 4,441
102 市瀬いちのせ 市瀬~元坂下   146.2 3,821
103 元坂下もとさかのした 元坂下~山中   270.9 4,213
104 山中やまなか 山中~土山   291.6 3,719
105 土山つちやま 土山~大野市場   249.0 5,138
106 大野市場おおのいちば 大野市場~今在家   217.1 4,083
107 今在家いまざいけ 今在家~林口   195.7 5,359
108 林口はやしぐち 林口~泉   171.3 3,160
109 いづみ 泉~夏見   151.2 4,081
110 夏見なつみ 夏見~石部   145.0 4,500
111 石部いしべ 石部~六地蔵   124.6 4,691
112 六地蔵ろくじぞう 六地蔵~目川   115.0 3,837
113 目川めがわ 目川~野路   108.4 4,186
114 野路のじ 野路~大萱   100.1 3,139
115 大萱おおかや 大萱~粟津   101.5 4,459
116 粟津あわづ 粟津~石場   91.2 4,444
117 石場いしば 石場~走井   91.0 3,653
118 走井はしりい 走井~御陵   160.1 4,351
119 御陵みささぎ 御陵~三条大橋   53.6 3,947
120 三条大橋さじょうおおはし 三条大橋   45.1
 慶長6年(1601)徳川家康によって東海道に宿駅伝馬制度が始められ、慶長9年(1604)江戸から京都までの東海道を整備し、宿場を設け、交通の円滑を図りました。さらに同年から街道の距離の目安として、一里ごとに一里塚を築き始め、慶長17年(1612)に東海道、中山道についてはすべて完成したと言われています。
 一里塚は通常、街道の両側に土盛した小山を作り、その上に遠くからでも目立つような榎や松など木々が植えられていました。なんらかの理由で、片側だけだったり、両側とも築かれなかった一里塚もありました。
 日光道中絵図に画かれた一里塚も参照してください。
 一里塚の大きさは、五間四方と言われていますが、丸塚になっていて直径七、八間程度、高さは一間半から二間程度でした。
「當代記」等の記述や神奈川県内で現存する品濃一里塚(東戸塚)からも伺われます。
 この一里塚の発案者は江戸幕府と思われていますが、織田信長でした。天正十年(1580)に36町を1里として領内の道に塚を築き、並木も整備したのが始まりと言われています。家康はそのアイディアをもらい全国規模にしたものでした。
<定説>
五間=9.0909m、七八間(7.5)=13.63635m、一間半から二間位=約3m
1里=36町  1町=60間  1間=1.818m
1里≒3927m
<新説>
「近世東海道の道路延長と一里塚の尺度について」で述べられているように 1間は6尺ではなく、江戸時代初期は6尺5寸(京間と同じ)だった。
 1間=1.9696m 1里≒4254m というもので、実際の塚間の距離もこれに近い。
 錦田一里塚(#27 右塚)。左塚の方が綺麗であるが、松並木と富士山の三拍子が揃っているのはこの塚だけ。

依田橋一里塚があったと言われる左富士神社
 正面の鎮守の森が左富士神社で、そこから僅かに京に向かって右方向へカーブすると富士山が12時方向から11時方向へ僅かずれて確かに左方向に見える。そんな富士山の景色は約200mにわたって続くが、電柱や電線、日清紡の工場が邪魔して現在では名勝と言えない。

薩タ峠から富士山

 薩タ(土 + 垂)峠から富士山を望む。ついに富士山を背にして歩くところまでやってきましたが、まだ半分までは来ていません。
参考文献
【注意1】 東海道一里塚ウォーキングガイド
 発行日:2003年11月20日  制作:月刊日本橋  協力:東海道ネットワークの会21

 本ガイドブックの執筆にあたり、一里塚の位置、旧東海道のルートは以下の文献等を参照したとあります。
 一里塚の名称については以下のように本書に従いました。
『当時、一里塚に名称は無く「○○村の一里塚」のように呼ばれていたものと思われます。名称が定まっていない一里塚や一里塚跡では、案内書によって異なるものもあり統一されるのが好ましいし、明治以降の町村合併の影響を受けない地名が良く、その名称例を提案する』
古文書名 発行日 著者(編) (復刻)発行所
東海道絵図 天和年間(1681~1684) 木下良監修 昭和礼文社刊
東海道分間絵図 元禄3年(1690) 近藤道印作・菱川師宣絵 昭和礼文社刊
東海道分間延絵図 文化3年(1806) 道中奉行所作成 東京美術刊
東海道宿村大概帳
(近世交通史料集4)
天保14年~安政6(1843~1859)
(1970.03)
道中奉行所作成
(児玉幸多編)
吉川弘文館刊
東海道名所記/東海道分間絵図 校訂者:富士昭雄 国書刊行会 2002.5.31(\6,000)を手に入れた。
書名 発行日 著者(編) 出版社
角川日本地名大辞典 1978 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店
決定版 東海道五十三次ガイド 2005.8.20 東海道ネットワークの会編 講談社(文庫)
東海道五十三次を歩く 2 1999.9.15 児玉 幸多 講談社
東海道を歩く 2006.2 山と渓谷社大阪支局 山と渓谷社
東海道の宿場と交通 2000.4.28 渡辺 和敏 静岡新聞社
東海道さんさくマップ   中部建設協会  
近江東海道道中絵巻   近江歴史回廊推進協議会  
完全 東海道五十三次ガイド   東海道ネットワークの会編 講談社
今昔東海道独案内   今井 金吾 日本交通公社
静岡県にみる東海道の一里塚   四ノ宮 尹 明文出版社
誰でも歩ける東海道五十三次   日殿言成 文芸社
一里塚リンク 私の趣味で厳選しています
東海道一里塚一覧表 私が最も参考したページで、内容も他サイトの受売ではないのが素晴らしい
旧東海道夫婦二人旅 当ページを参照されており、道中記は非常に細かく、写真も多く、歩きの参考になります。
 
Copyright © uSolutions Inc. All Rights Reserved.
ホーム