旧東海道地域の歴史
◆明治~戦前戦中
■耕地整理による発展の礎づくり
・明治36年から昭和5年にかけて大規模な耕地整理が行われ、帷子川周辺の低地部の大規模工場建設や、丘の部分の住宅地形成により、保土ヶ谷の骨格がつくられました。
■別荘地・住宅地や大都市近郊の行楽地としての発展
・桜ヶ丘付近の丘陵部分には、洋館付き住宅(文化住宅)が多く立地し、ハイカラな雰囲気の漂う住宅地として、大正から昭和にかけて人気を集めました。また、程ヶ谷カントリー倶楽部常盤園桜ヶ丘の桜並木などは、東京・横浜近郊の行楽地として栄えました。
■帷子川の水運を活かした工場地帯しての発展
・明治から戦前にかけて、帷子川沿いに多くの工場(麦酒、硝子、絹糸、曹達、紡績、捺染工場など)が立地しまたが、戦災や接収、公害などの環境問題が原因となり、徐々に保土ヶ谷から撤退していきました。

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